こんにちは。【心を整える専門ノート】へようこそ。
4月も末になり、ゴールデンウイークになりました。暖かくなって気持ちもさわやかになりますね。
ブログも記事がたくさん溜まってきて、読者の皆様へ、どのブログが有効であるかというテーマで試行錯誤しています。今読み返すと、渾身の力が入った記事ばかりだったように思います。もう少し肩の力を抜いて、日々の楽しみとか、家事を頑張ったご褒美とかを載せていければと思いますが、記事を書いたときの心境をお伝えしたくなりました。
メンタルを整える
この記事はとてもアクセス数が多く、読者の皆様に愛されて、ブログを始めたての私はとても嬉しい気持ちになりました。私の経験したことが読者の皆様のお役に立てたのなら、とても光栄です。保険営業時代に「自分をプロデュースした」ことで、過去の毒親からの呪縛は関係なくなり、トップ営業としての自分を演じ切り、拠点内1位の実績を誇れるようになりました。メンタルは天に登り、壁のグラフは天井で折り返し、自分の机の真上まで伸びて、他を圧倒させました。これにより、出すぎた杭は誰にも打てないという現象を実際に感じ取り、同僚から「テポドン」と揶揄されましたが、嫉妬はその程度で済みました。とても得難い経験をさせていただきました。
クリスマスとお正月は大嫌いな子供時代
これは私の悲しい子供時代を象徴した記事です。これほどの辛さはないであろう12歳の私を、今迎えに行き、抱きしめました。当時のことを思うと涙が出てきます。あんな環境でどうして耐えられたのだろう。キツい母、暴力が止まらない父。誰も助けてくれない環境で、ストレス発散するには、指の皮を剥いて自傷行為をしていました。左手の指先は真っ赤に腫れあがり、何を触るのも痛いほどでした。リバーサイドマンションに20歳まで暮らして、成人式を迎えました。結婚前に呉服屋にお手伝いさんとして働いていた母からの水色の振袖が、今では形見になりました。母の人生は、私を身ごもった時から始まりました。子供の頃からこんなに苦労させられて、私は生まれて来なければよかったと何度思ったことでしょう。お母さん、産んでくれなくて良かったのに。妊娠5か月まで母子手帳をもらわなかった母は、ギリギリまで考えたのでしょう。ならば、堕ろしてほしかった。父との同棲も解消してほしかった。今ここにいる私の存在さえ、否定していました。
「私は余命10年、あなたは何年?」難病病棟で知った命の重み
派遣の事務で働いていた私を襲った、血液の難病。ぶつけた時の内出血、足の点状出血。その月にたまたま健康診断があり病院で血液検査をして帰った後、家に電話がありました。「奥さんはいますか?」買い物に出かけている、何かあったのですかと夫が言いましたが、「あなたには言えません」と言われたと聞き、何か引っかかったなと感じ、すぐに病院に行きました。すると血小板が異常に少ない、これは難病の「itp」という「特発性血小板減少症紫斑病」に違いないと言われました。すぐに病院を紹介するからとデータを持たされ総合病院に行きました。結果はその通りでした。「はい、今から入院です」血小板が3万マイクロリットル以下の人は入院です。と医師から告げられ、明日からの入院にしてもらいました。それから2か月、2007年の7月中旬から夏休みが終わり、9月中旬まで入院しました。大量の薬を飲んでも治らない、最終手段は、当時では脾臓摘出しかありませんでした。それから2020年に再発してしまい、今は健康保険の対象として存在している新薬があり、それを飲んで生きています。1錠2300円もする新薬です。幸い、難病により国からの支援がありますので、3ヵ月おきに40錠をもらうのですが負担は2万円で済んでいます。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます。
自分の命を大切にする、自分の心も大切にすることが、周りの人たちのためにどれほどありがたいことなのか、入院して治療する中で感じていました。当時、高校一年生だった娘と、小学5年生の息子を残して死ぬわけにはいかない。絶対に生きて帰ることをいつも思っていました。
発病した42歳の2007年から、61歳になった2026年を迎えられたことが奇跡のように思います。
読者の皆様の大切な命と、体のご健康を、どうか守ってください。怪我には気を付けて、体調が悪いと感じたらすぐ病院に行くことをお願いいたします。
皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

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