「刑事(デカ)」と呼ばれた派遣社員の私。難病ITPとの闘いと仕事の矜持

ライフストーリー

こんにちは!
42歳の夏、私は建設機械メーカーで派遣社員として働いていました。総務の仕事に誇りを持ち、時には「刑事(デカ)」と呼ばれるほど生真面目に業務に向き合っていた私を襲ったのは、突然の難病告知でした。

認められない、おひとり様の領収書

家の近くに、大きな建設機械を作る会社があり、私は派遣社員として働いていました。ExcelのVLOOKUPが出来れば良いということで、データ処理を見習い、総務の仕事をしていました。
社員から預かった飲食代などの領収書を、経理部に経費として申請するという仕事でした。
ある日、他部署の上長が、クラブまたはバーの領収書を持ってきて、これを交際費や会議費として会社に承認させたい旨、私のデスクに持ってこられました。裏には何も書いてない、何人で行ったのか?仕事の打ち合わせなのか、よくわからない飲み代。経費として受け付けるわけにはいきません。無理です。とはっきり伝えました。「ちぇっ!」と舌打ちして帰って行った上長。社員が多くいる会社で、いちいちそんな領収書で経費精算をしていたら、「つぶれますよ?!」と言いたいです。

突然の難病告知と「待ったなし」の入院

2007年7月、健康診断の結果が私の人生を一変させました。
病名は「ITP(特発性血小板減少性紫斑病)」。血小板が異常に減り、いつ出血してもおかしくない難病です。医師は、当時のPHSで病棟に電話して、「ベッド空いてる?」と聞きました。
医師から「今すぐ入院ね!」と告げられたとき、頭をよぎったのは高校1年の娘と小5の息子のこと、そして仕事のことでした。

病室での出会いと、決死の脾臓摘出手術

2ヶ月に及ぶ入院生活。大部屋では、白血病や悪性リンパ腫と闘う仲間がいました。「あなたの余命は何年?」と明るく聞く彼女たちに励まされ、私は70%の治癒率に賭けて、脾臓を摘出する手術を受けました。 派遣社員という立場でありながら、職場の方々は私の席を空けて待っていてくれました。お見舞いのメッセージに、どれほど救われたか分かりません。

復帰後の「事件」と、私を呼ぶ声

無事に手術が成功し、職場復帰ができました。しかし、私の「刑事」としての目は衰えていませんでした。ある時、派遣仲間の不自然な勤務表の書き換えに気づいてしまいます。ある二日間、お休みだった派遣社員の勤務表が、二日とも出席したように書いてあり、上長の鍵のないファイルでの勤務表も書き換えてあり、おかしいなと思い、 正義感から上長に報告した結果、その人は上長に、本当ですと自供し、謝罪して退職しました。その上長は、私のところへも頭を下げて謝罪されました。退職までしたのは私のせいだと悩みましたが、「不正はいつか露呈するもの」と自分に言い聞かせました。 そんな私についたあだ名が「刑事(デカ)」でした。

恩義と旅立ち

北京オリンピックが始まった2008年の夏、私はあんなにお世話になった会社を辞める決断をしました。当時の自分を「恩知らずだった」と思うこともありましたが、それもまた、私が「自分自身の人格を探す旅」の途中にいたからかもしれません。


ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます。
「人格をさがす旅」はまだ続きます。
皆様の心と体のご健康を、何よりもお祈りいたします。

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