こんにちは!【心を整える専門ノート】へようこそ。
最近、テレビで昭和歌謡や当時の番組特集を見ると、「あの頃の自分は何に熱中し、何を求めていたのだろう?」と改めて考えることがあります。私はバリバリ昭和の人間で、バブル期には株や保険といった金銭的な夢が溢れていました。あの頃の華やかな出来事を「ただの思い出」で終わらせず、当時の行動力や熱中する心が、現代の私たちが自己肯定感や心の充実を取り戻すために役立つのではないかと考えます。今では考えられないような、当時の「心の満足度」を高める秘訣を、六本木や赤プリ、そしてニセコでの体験から振り返ります。
【自己肯定感】控えめに踊る友達と「品定め」の視線:他人軸で疲れない心のパウンダリー
高校の時、美人の友達がマハラジャに行こうよと誘ってくれて、私はいつも引き立て役でした。
ダンスフロアで彼女は控えめに踊って、よくナンパされていました。私は踊りながら横目で見て、「品定め」をしていました。男性は皆スーツでしたね。私たちもワンレン、ボディコンで攻めていました。もっと攻めていた人は、お立ち台に乗って、有名ブランドの千鳥格子柄のピンクのスーツを着て踊っていました。スカート丈は長めでしたね。お立ち台はめちゃくちゃ幅が狭くて危なかったと思います。お立ち台は、ダンスフロアの床まで140センチくらいありましたから。
冬の六本木はアマンドあたりで毛皮を着た女性がたくさんいました。みなさん有名大学の「女子大生」でした。見るからにお嬢様でした。
【自己尊重】豪華な空間で自分を労う時間:過去の私たちが知っていたリッチな気分の作り方
赤坂プリンスホテル、覚えていますか?老朽化のためか壊してしまいましたが、よくロビーでお茶を飲んでいました。携帯電話がない時代でしたけど、リッチな気分でした。
私は25歳で結婚したのですが、誕生日に彼氏(現在の夫)と一泊しました。最上階のレストランで食べたローストビーフの美味しかったこと、忘れられません。お部屋は池袋側になっている広めの部屋でした。首都高速に面したお部屋はすべてスイートルームとのことでした。
友達の結婚式が赤プリで行われて、二次会に出た後、10階のスイートルームにお邪魔しました。
道路側の一面すべてが窓で、夜景がすごくきれいでした。眼下に見る高速道路を走る車の赤ライトが、とても幻想的で、あの夜景は忘れられません。
【熱中力の回復】趣味を通じた最高の仲間づくり:大人になってから「夢中になる」ことの重要性
”私をスキーに連れてって”この映画と同じようなことをしていました。夢中でスキーに何度も行きました。夫と知り合ったのも、スキーがきっかけでした。21歳の時から、北海道ニセコスキーツアーに毎年1月の連休に行っていました。旅行会社の社長は北海道が大好きで、私たちツアー客はみんなで行動を共にしていました。ジンギスカンを食べたり、すすきのにあるお寿司屋さんを貸し切りにして宴会したり、札幌ビヤガーデンにも行きました。できたての生ビールの美味しさは今でも忘れられません。それから毎年1月にはニセコスキーツアーに参加して夫も友達と参加しました。冬だけ会う友達。彼らは春になったらテニスをやっていました。私は腕に覚えがあるので、一度参加したら驚かれました。テニスの技術よりも、男女4人ずつ集まり、テニスを楽しむ婚活なのでしょうか。当時は「婚活」なんていう言葉はなかったので、普通に遊ぶ中で結婚相手を見つける地道な努力をしていました。
【ストレス耐性】過酷な状況を乗り越える「トレイン」の安心感と結束力
ニセコの寒さは半端じゃなかったですね。リフトで最上階まで登って、吹雪だったときは顔が凍りました。ゴーグルとフェイスマスクをしていないと死ぬかもしれない過酷なゲレンデ。吹雪で2メートル先は見えないので、みんな必死でトレインで滑りました。
お昼はゲレンデのレストランで、イクラどんぶりを食べました。イクラの量がすごかったです。
おやつのお汁粉も美味しかったですね~。さすが北海道です、食べ物が美味しい!
【持続可能な健康】温泉が教えてくれた:激しい活動の後に「必ず自分を温める」セルフケア
温泉スキー、行きました!懐かしいですね~。当時、スキー板は長いのが上級者の証で、男性は長い板を好んで持ってきました。荷物が多くて大変でしたけど、みんな陽気で楽しかったですね。
新宿発の高速バスとか、自らの車でスノータイヤを履いて、夜中に出発しました。温泉があるスキー場は、すごく温まるのでどんなに寒くても風邪をひきませんでした。温泉スキーは最高です。
苗場のホテルは、ホテルの出口からスキー場になっているので、移動が楽でしたね。
苗場の名物、ユーミンのサーフ&スノウコンサートにも行きました。手を伸ばせばユーミンの足首をつかめる近さで観られて最高でした!
まとめ
息子に、きのう言ったことは忘れるのに、なんで昔の話は覚えているの?と言われます。
それは、昭和の経験の一つ一つが、今の私の心の土台、つまり「ライフデザイン」を形作っているからかもしれません。家から一歩出れば刺激的な世界が広がっていたあの青春時代。私たちには、心から熱中する力と、過酷な状況を仲間とともに乗り越える強さがありました。この「心の熱量」こそが、自己肯定感を育む原動力となります。この記事で振り返ったように、私たちは知らず知らずのうちに、自分を労い、心の満足度を高める「ライフデザインの秘訣」を実践していたのです。
もし今、過去の重荷やストレスで、あの頃のような心の熱量を失ってしまっていると感じるなら、ぜひ一度、心の境界線と自動思考を見直してみましょう。
【心を整える専門ノート】では、あなたの心を解放し、人生の満足度をもう一度高めるための具体的なステップをご紹介しています。
<リンク> 毒親育ちの自己肯定感を育てる:過去の重荷を手放す3つのステップ
昭和を生きた皆様へ、そして、これから人生をデザインする全ての皆様へ、これからも健康と幸福が届きますようにお祈りしています。

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