こんにちは。【心を整える専門ノート】へようこそ。
2007年の夏。突如として始まった難病との闘い。2ヶ月に及ぶ入院生活は、私にとって「命の期限」と向き合う、あまりにも過酷な時間でした。
副作用による外見の変化、心ない言葉への絶望、そして最終手段としての手術。 そんな極限状態の中で私を支えたのは、幼い息子の写真と、不器用ながらも必死に私を守ろうとした家族の姿でした。生還した私が、仕事復帰を果たすまでの軌跡を綴ります。
身体が発していた「限界」のサイン
入院が決まる直前、私の体はすでに悲鳴をあげていました。お風呂掃除の最中、少し手首をぶつけただけで見たこともないような内出血が広がり、職場でも立っていられないほどの貧血に襲われました。「ただの疲れではない」その予感は的中し、国の指定難病である「ITP(特発性血小板減少性紫斑病)」との闘いが幕を開けたのです。
「死」と隣り合わせの病棟で
救急センターの病棟は、常に死と背中合わせの緊張感に包まれていました。
大部屋の仲間から「余命、私はあと10年、あなたは何年?」と問いかけられた時の衝撃。自分の病が、そこまで深い闇の中にあったのだと突きつけられた瞬間でした。
お見舞いに来た夫は、私の足元で声を殺して泣いていました。普段は亭主関白で強い態度を見せる彼が流した涙。それは、彼なりの深い後悔と、私を失いたくないという祈りのようにも見えました。子供の夏休みに入るタイミングでの入院は、高校生の娘と小学5年生の息子を残すなんて、あり得ない。「絶対に生還する!」と誓いました。
絶望を救った、一枚の小さな写真
ステロイドの大量投与による副作用で、鏡を見るのが辛いほど顔が腫れる「ムーンフェイス」に。それでも血小板の数値は一向に上がらず、研修医からの無機質な言葉に心が折れそうになった夜もありました。
「もう、いいかな……」と自暴自棄になりかけた私をこの世界に繋ぎ止めたのは、携帯電話の中にいた、小学5年生の息子の笑顔でした。
「この子を一人にして、死ぬわけにはいかない」
母としての本能が、私の生きるエネルギーを再び燃え上がらせました。
脾臓摘出と、夫の不器用な献身
あらゆる内科的治療が功を奏さず、私は最終手段である「脾臓摘出」の手術を決断しました。
手術前、血小板を一時的に増やすために投与された大量の血液製剤。それは、どこの誰とも知らない方々の「献血」によって作られたものでした。
入院の前日、彼なりの励ましがありました、ワインを買ってきて私と乾杯しました。生還への祈りを込めたワインの味は、何とも言えない感覚でした。夫は、あれから現在に至るまで、欠かさず献血に通い続けています。言葉では多くを語りませんが、自分が献血をすることで、かつての私のように救われる誰かを支えたい……。それが、彼なりの贖罪であり、精一杯の愛の形なのだと受け止めています。
意地の仕事復帰と、医学の進歩に感謝して
退院からわずか2週間。私は周囲の心配をよそに、職場復帰を果たしました。 3700万円のローン、子供たちの学費、そして「まだ終われない」という私の意地。2ヶ月間、私の帰りを待ってくれた職場の方々には感謝してもしきれません。
それから13年。再発という試練もありましたが、医学の進歩により今は画期的な新薬の助けを借りて、穏やかな日常を送ることができています。国の助成制度や、支えてくれる家族、そして私を生かしてくれたすべてのご縁に、今はただ「ありがとう」と言いたいです。
結びに:当たり前の今日を、大切に
命の危機を乗り越えたからこそ、朝目覚めて、家族と食卓を囲めることの尊さが身に染みます。
どんなに厳しい冬があっても、春は必ず巡ってきます。もし今、病や理不尽な環境に苦しんでいる方がいたら、どうか希望を捨てないでください。あなたの「生きたい」という強い気持ちは、必ず未来を切り拓きます。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆様が心穏やかに、健やかな毎日を過ごされることを心よりお祈りしています。

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