〜過酷な過去を越えて、今の幸せを築くまで〜クリスマスとお正月は大嫌いな子供時代

家庭の記憶
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こんにちは。
【心を整える専門ノート】へようこそ。今日は少し個人的な、けれど私の人生において避けては通れない「過去の記憶」についてお話しします。
リバーサイドマンションの応接間で過ごした、息の詰まるような日々。母と共に極限の絶望を感じた、あの冬の橋の上。そんな過酷な環境から、私はどうやって自分を磨き、家を建て、明るい家庭を築くまでに至ったのか。この記事は、かつての私のように「なぜ自分だけが」と自分を責めている方へ贈る、再生の記録です。過去の連鎖を断ち切り、自己肯定感を育むヒントを分かち合いたいと思います。

何も悪くないのに泣かせる父

リバーサイドマンションの応接間で、父は一人でお酒を飲み、母に心無い言葉をぶつけていました。小学5年生だった私は、名前を呼ばれるたびに理由もなく責められ、泣かされる日々。そのストレスからか、私の首のあたりはいつもぎゅーっと締め付けられるように痛むようになりました。子供ながらに、常に神経を尖らせて生きていたのだと思います。

クリスマスは”クルシミマス”

母が毎年、自嘲気味に言っていた言葉です。25日の支払日に追われ、頭を抱える母の姿。父は仕事の付き合いで大きなケーキを持ち帰りましたが、家の中の空気は冷え切り、ちっとも美味しく感じられませんでした。サンタクロースなんかいない。華やかな世間とのギャップに、クリスマスが大嫌いになりました。でも、今は幸せです。子供が小さい頃、夫が保育園の発表会でサンタクロースの変装をして園児たちを喜ばせてくれたことがあります。子供たちの笑顔が忘れられません。

絶望の淵に立たされたお正月

新年もまた、母の悲痛な思いと共に始まりました。親戚の家への挨拶も、父と母の言い争いから離婚話へと発展し、激高した父が一人で車で帰ってしまうという事態に。
残された母と私、姉、幼い妹の4人で、凍てつく寒さの中を歩きました。橋を渡る時、極限まで追い詰められた母から発せられた言葉と、その張り詰めた空気感。幼い私には抱えきれないほどの絶望と、命の危険を感じるほどの衝撃でした。
今、こうして生きていられることは、本当に奇跡なのだと感じています。

伯母の家での「格差」と決意

唯一の救いだったのは、東京に住む歯科医の伯父と結婚した伯母の存在でした。しかし、そこでの豪華な暮らしを目の当たりにするたび、父は私を「お前もバカなんだよなぁ」と卑下しました。
「あんたの子だからね!」と叫びたい悔しさを必死に飲み込んだあの日の記憶。だからこそ私は心に決めたのです。自分の子供たちには、人前で絶対にそんなことは言わない。成績も良く、素直に育ってくれた子供たちの頭をポンポンと撫でながら、私はあの日の自分を抱きしめています。

過酷な時代を「生きる力」に変えて

どんなに理不尽な環境であっても、子供はそこで生きていくしかありません。「なぜこの家に生まれたのか」という問いの答えを探しながら、私は家業を手伝うために取得した資格を武器に、必死に働きました。鳴りやまない電話を受けたり、社内システムを構築して一目置かれる存在になりました。過去を消すことはできなくても、上書きすることはできる。そう信じて自分を磨き続けた先に、今の幸せがあるのだと思います。

おわりに

過酷な記憶は今も消えませんが、私は夫と共に社会で働き、家を建て、明るい家庭を築きました。この「事実」こそが、私の自己肯定感の柱です。
もし、今同じような苦しみの中にいる方がいたら、どうか諦めないでください。ご自身を信じ、大切にすることに、何歳からでも遅すぎることはありません。
自己肯定感という光を見つけた時、必ず明るい未来が待っています。そこに向かって、一歩ずつ共に歩み始めましょう。


ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
春の兆しが感じられるようになり、桜の開花も待ち遠しい季節になりました。
皆様の未来が、明るく光り輝いて、素晴らしい人生になりますようにお祈りしています。

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