赤く腫れた指先と、閉め出された玄関。私が『巨大宗教』を嫌う理由

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明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します。
前回の記事では、両親への感謝の気持ちを綴りました。それは私の本心です。 でも、感謝の光が強くなればなるほど、その陰に隠れていた『どうしても許せなかった記憶』が、今、鮮明に浮かび上がってきているのです。感謝しているからこそ、蓋をしてきた暗黒の記憶。 今回は、私がずっと言えなかった、まだ12歳の小学校6年生だった頃のお話を聞いてください。
「あなたは、親の宗教に引き込まれたことはありますか?無理やりお経を唱え、手を合わせてずっと正座したことはありますか?」私は現在まで、その宗教が大嫌いです。

日曜の朝、少年部の宗教活動に連れ出される憂鬱

日曜日の朝はゆっくり寝ていたいのに、毎週必ず9時には来る、宗教親子。友達でもなんでもないのに、母が「お友達よー」と言って父を騙し、宗教活動に連れて行かれました。その人の家に大きな仏壇があり、正座をして手を合わせてお経を唱える。痺れる足を耐え、何でここに来なければいけないのかと問うこともできない12歳の子供の私。当時の写真は「ぼーっ」としている、マインドコントロールされているかのような、魂の抜けたような顔をしていました。また、選挙での推しの政党は〇明党と、政党の意味も知らない子供に強制的に言わせていました。

小岩駅で拉致された12歳の私

ある日、小岩の駅ビルを一人でぶらぶらしていた時のことです。 少年部の先輩である16歳くらいの女子二人に「ちょっとおいで」と呼び止められ、そのまま彼女たちの家へ連れて行かれました。今思えば、あれは「拉致」でした。そこでも仏壇にお経を唱えさせられ、「私は一生、この仏壇を保つ(所有する)」と誓わされました。 「なんで!?この人たちは悪い人だ」 6年生の子供を拉致して、何を言わせるのか。どう考えてもおかしい。私は隙を見て、走って逃げ帰りました。

母との決別:勇気を出して断った日

「もう、日曜日の朝にあそこへ行くのは嫌だ」 父に相談しようかと思いましたが、宗教をひどく嫌っていた父にバラせば、母は半殺しにされるかもしれない。子供ながらにそんな恐怖と板挟みになり、誰にも言えない秘密を抱えていました。ある日、母に「また少年部があるんだけど……」と言われたとき、私はついに「もうヤダ!!」と叫びました。すると母は逆ギレして「もう誘わないよ!!」と言い放ったのです。それが、私なりの決別でした。

悲惨な劇のセリフ「子供を殺しても、平気な世の中になっています」

宗教活動の劇で、私に与えられたセリフはこうでした。 「子供を殺しても、平気な世の中になっています」
……ひどい。そんな世の中になったらどうするんだ!?と子供ながらに戦慄しました。 今思えば、子供にそんな言葉を吐かせる大人たちは、あまりに無神経で最低です。私は、その宗教をやって幸せになった人を一人も知りません。 保険営業をしていた頃、私の法人契約を「自分の手柄だ」と泣いて横取りしようとした先輩も、その宗教の信者でした。車の中は強烈な臭いがして、連れて行かれた自宅は竹藪の中の掘っ立て小屋。知的障害を持つ妹さんが叫んでいるような環境でした。 その悲惨な現実を「幸せ」と呼ぶ彼らの感覚が、私にはどうしても理解できなかったのです。

線香臭い母から締め出された私

家でも、父の目を盗んでお経を唱える母。 早い時間に父が帰ってくると、慌てて仏壇を閉める音が聞こえます。線香臭いままドアを開ける母に、父はすぐに勘付き「またやってたな!」と怒号を飛ばす。そんな光景を私はずっと見てきました。学校から帰っても、家に鍵がかかっていて入れないこともありました。 ドアを叩いても、蹴っても開かない。 しばらくして母が手ぶらで帰ってくる。その姿を見た時の、こみ上げるような怒りは今でも忘れられません。
宗教の新聞に載っている、会員たちの「勝ち誇ったような笑顔」の集合写真を見るたび、私は不気味でなりませんでした。「なぜこんな環境で、こんな晴れやかな顔ができるのだろう?」と。

指の皮を剝いてしまう癖が20歳以降まで続いた私

父はDV、酒乱、パワハラ、浪費……。母は宗教に没頭。 そんな家庭で、勉強に集中できるわけがありません。 私の6年生の通知表は「オール2」でした。母はその数字を見て落胆していましたが、「あんな環境で勉強ができるか!」と言い返したかった。
私のストレスは、指先に現れました。 無意識に指の皮を剥き続けてしまい、指紋がなくなり真っ赤に腫れ上がる指先。後に結婚する夫と初めて手をつないだとき、「なんだこれ……」と驚かれたほどです。 子供として守られるべき環境が、完全に破壊されていた結果でした。

子供がいじめられるのは、母親に徳がないから

家庭に居場所がない私は、学校でも荒れていました。 友達にひどいことを言ってしまい、野球のルールもわからずミスをして、仲間外れにされました。放課後には教室で「子供裁判」にかけられ、雑巾で涙を拭うような日々。そんな私の窮状に、母は「私も子供の頃いじめられた」と同情してくるだけ。 「ばっかじゃないの!母親に徳がないから、子供がいじめられるんだよ!」 心の中でそう叫んでいました。そんな私を見捨てず、唯一友達でいてくれた女の子とは、今でも親友です。彼女には本当に感謝しています。

今、6年生の当時の私に言ってあげたい言葉

「勉強ができなかったのは、あなたがダメだったからじゃないよ。あの地獄のような環境で今日まで生き抜いて、自分の心を守り抜いただけで、あなたはオール5以上の努力をしていたんだよ」
私の娘は、中学校の3年間、オール5の成績を取り続けました。 それを見たとき、私は確信しました。 「あの頃の私ができなかったのは、私のせいじゃなかったんだ」
勉強に集中できる環境を、私自身の手で、家族と一緒に作り上げた結果なのだと。

ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます。
暗黒の子供時代を生き抜き、今もその宗教に強い嫌悪感を持っている事実は、当時の私がどれほど傷ついていたかを教えてくれます。「辛かった・・」という口癖が、去年までありました。
「温かい家庭を築く」と誓った結婚式から、今年で36年になります。親孝行の息子と、娘の成長に励まされ、そしてこの4月には、二人目の孫が誕生します。

あの閉め出された玄関の前で泣いていた少女は、今、家族の笑顔に囲まれています。
皆様のこの一年が、幸せに満ち溢れることをお祈りいたします。

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