こんにちは。【心を整える専門ノート】へようこそ。
今日は、私の記憶の奥底にずっと仕舞い込んでいた、幼少期のお話をさせてください。
決して「穏やか」とは言えなかった家庭環境。父の激しい気性と、翻弄される母。そんな中で、「なぜ私は生まれてきたのだろう」と問い続けた少女時代の私。
還暦を過ぎ、自分自身の家庭を築き上げた今だからこそ、あの過酷な日々が私に教えてくれた
「本当の幸せ」について、静かに綴ってみたいと思います。
揺れ動く命の始まり
私の母は30歳でお見合いをし、苦労を覚悟して父と結婚しました。母が私を授かった際、当時の複雑な心境を聞かされたことがあります。
「産んでもらわなくて良かったのに」
幼い頃の私は、家庭内の緊張感に耐えきれず、そんな悲しい言葉を心の中で繰り返していました。でも、今の私は知っています。どんな状況であれ、私が今ここに存在していること自体が、一つの奇跡なのだということを。
父の背中と、幼い目が見た夜の街
父は損害保険の仕事をしていましたが、私が2歳の時に大きな事故に遭い、奇跡的に一命を取り留めました。その凄まじい生命力で仕事を引き継ぎ、事務所を経営するまでになりましたが、一方で父は、夜の街での交流に安らぎを求めるようになりました。
幼い私を連れて夜の店へ行き、「こんな大人になってはいけないよ」と耳打ちした父。その矛盾に戸惑いながらも、私は大人の世界の「寂しさ」や「弱さ」を、子供ながらに察していました。
張り詰めた空気と、姉が守ってくれた未来
事務所を兼ねた自宅は、常に仕事の緊張感と父の激しい気性で満ちていました。父への配慮が最優先される食卓。母が叱咤される音が聞こえ、震えて見守る夜。
そんな暗闇の中で私を救ってくれたのは、美容師として働き、家計を助けてくれた姉の存在でした。姉が自分の楽しみを削って工面してくれた学費のおかげで、私は高校に通い、社会に出る準備を整えることができたのです。
「逃げる」のではなく「自立」するための旅立ち
25歳で結婚するまで父の仕事を手伝いましたが、家庭内の平穏は遠いものでした。私は逃げるようにして家を出ましたが、母が掛けてくれた「絶対に帰ってきてはいけない」という言葉。それは突き放したのではなく、「あなただけは、自分の幸せを掴みなさい」という母なりの、命がけの愛のメッセージだったのだと今は確信しています。
61歳で急逝した父。私の結婚式で見せたあの涙が、本物だったのかは分かりません。それでも、あの激動の時代を必死に働き、不器用ながらも私たちを育て上げた事実は、私の中に「生き抜く力」として根付いています。
結びに:暗闇を抜けて、今思うこと
「なぜ私は生まれてしまったのだろう」 かつての問いへの答えは今、私が大切に守っている穏やかな家庭と、こうして繋がっている読者の皆様との時間にあります。
過酷な過去があったからこそ、私は「当たり前の明るい家庭」がいかに尊いかを知ることができました。壮絶な記憶さえも、今は私を支える「強さ」の一部です。還暦を迎え、こうして自分の言葉で過去を光に変えられることを、心から幸せに思います。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。
もし今、出口の見えないトンネルの中にいる方がいたら、どうか信じてください。夜は必ず明け、あなたの人生は、あなた自身の手でいくらでも美しく描き直せるということを。
皆様の未来に、光輝く幸運が届きますようにお祈りしています。

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