両親への感謝:幸せにつながる道

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こんにちは。【心を整える専門ノート】へようこそ。
段々押し迫ってきました。今日はお正月用の買い出しに夫と出かけ、いろいろと選んできました。一緒に歩いていると、「こうして35年もこの人と歩いてきたのだな・・」と思います。離れて歩いた時もある、仲良くできなくて、「所詮、他人なんだな」などと思った時もありました。子供が生まれ、家事に仕事に毎日忙しくして、余計なことを考える暇もなく月日が経ちました。仕事を辞め、パソコンの前でこうして見えない誰かと繋がれる。この奇跡に感謝しながら、今たどり着いた想いをお話しさせてください。まだスタートラインに立ったばかりです。年が明けて、来年もこのようにブログを書いて、皆様に読んでいただけたら、とても嬉しいです。

急逝した父の後、家業を妹にまかせた理由

私の長女が生まれて1歳になった頃、平成5年に脳梗塞で父が他界しました。残された母と妹と、離れて暮らす私は、考える暇もなく、父の残した代理店を9歳下の妹に任せました。『この家に生まれた以上、あなたも同じ苦労を味わうべきだ』そんな風に妹を突き放すことでしか、これまでの自分の犠牲を正当化できなかったのだと思います。そう思わなければ、あまりにも自分が報われない。当時の私は、自分のこれまでの歩みを誰かに認めてほしくて必死だったのです。当時の私は自分の心と家庭を守ることで精一杯だったのだと、今は自分を許せるようになりました。

泣いて帰ってきた妹

お客さんと父はどんな状況だったのか全く知らなかった妹は、度々お客さんに会って泣いて帰ってきたと言うことを母から聞きました。私でもその厳しいお客さんに会ったら、絶対泣かされると思います。父はどうしてこんな営業をしてきたのだろうと思いました。私が働いていた当時は、仕事のほとんどを私に頼り切っていたので、父は大した仕事をすることもなく、焼酎を浴びるほど飲み母へ嫌がらせをして、私のわずかな給料も「自分に献上するもの」という人でした。

父への願い:結婚を許していただきたい

夫を父に会わせたときに、父は夫のことを「人格者」だと言ってくれました。うちはこんな家庭なんだと父が言う、自分が悪いのによく言えたものだと思いました。散々苦労させられた私は1990年5月に退職して代理店の使用人登録を削除しました。私たち三姉妹は、みな父親に苦労をさせられましたが、結婚して幸せを掴みました。姉は23歳で結婚。それも父が探してきたお見合いでした。父も姉に悪いことをしてきたと感じていたのでしょうか。とても穏やかで素敵な人と縁談がまとまりました。妹も、バイクの保険を契約してくれた大学院生と、彼の卒業後に就職した後で結婚しました。そして彼は実家に同居してくれました。

資格と経験により結婚後も仕事ができた私

商業高校を卒業した私は、学校からは就職せずに父親の仕事を手伝うことを決めて、得られた営業力や資格などを存分に発揮して、結婚後でも20年以上働けるようになりました。すべて父が私を連れて営業で歩いてくれたおかげです。それがようやくわかりました。父には許せない場面がたくさんあり、子供時代を含め、今までの辛い気持ちを消化することができませんでした。しかし、このブログを執筆するそのおかげで、辛い気持ちを整理でき、こうして皆様に公開できるようになりました。ものすごいチャンスを頂いている私は、きちんと自覚しなければなりません。あんなに憎んでいた父が残してくれたものが、皮肉にも私を助けてくれた。その矛盾を受け入れたとき、何かが溶け出した気がします。

まとめ:辛かった時代もすべて今の幸せにつながる

どんな毒親だったとしても、私を産んで育ててくれたことはとてもありがたいことです。この気持ちに到達するまで、長い時間がかかりました。子供の頃に流した涙はとても多く、当時の自分に会えたなら、抱きしめて「大丈夫だからね」と言ってあげたいと思います。「生まれた以上は自分の人生」と言った私のブログの言葉は、今の私に勇気と希望を与えてくれます。心を整える専門ノートなのですから、私から始めないとダメなのです。皆様と育ち方は違いますが、人間としての誇りと自信を持って、これからも頑張って行きたいと思います。幸せにつながることを信じて。

「生まれた以上は自分の人生」と言ったぐブログです。
リンク:メンタルを整える | 【心を整える専門ノート】アラ還からのライフデザイン

ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます。
辛かったこと、悔しかったことをすべて今年で終わらせて新しい年を迎えたい、夢を実現したいと思っています。
皆様の人生が、夢を実現する道に通じていることを、心からお祈り申し上げます。

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