こんにちは。【心を整える専門ノート】へようこそ
このページは「毒を以て毒を制す」というタイトルでしたが、内容を見直しタイトルも変えました。新しい年になった今、社会人としての私の経験を、皆様のお役に立てるようになれば嬉しいと思います。今日は雪が降ってますます寒くなりました。これからも、微力ではありますが、皆様のお役に立てるようなサイト運営をして行きます。どうぞよろしくお願いいたします。
こんな人のために辞めない
生命保険会社には、たくさんのいろいろなタイプの人が働いています。支部ごとに小さな机を囲み、書類も手紙も丸見えな、近い距離で集中しなければならない環境でした。新人として入社すると必ずいじめ役がいるものです。担当のお客さんから頼まれた名義変更などの処理は、記入してもらう箇所を漏れなく案内すること。私が書き加えることは許されないので、完璧にお客さんに書いてもらいます。向かいの席からそれらの書類を覗き見て、「すごいわねぇ」と言い出します。当たり前なのにいちいちうるさい、カン高い声。新人だろうとベテランだろうと、仕事なんだから!と思います。この人と2年くらい戦いました。先に辞めた方が負け。私はなぜか喧嘩のメンタルは強かったことを思い出します。こんな人のために辞めるもんか!とますますやる気になりました。
ワンギリの営業妨害
職域に向かう大事な時間に、”ワンギリ”で携帯にあの人からかかってきました。「やだー!なんだろう」先日、携帯番号を教えろと言われて、しぶしぶ教えたのを悔やみました。コールバックしないで会社に帰ったら、何を言い出すかわからなかったので、すぐ折り返し電話しました。すると、「ハローワークに行ってみなさいよ」なんて言うのです。はぁ?何でですか?なぜこうして働いてるのにハローワークに行かなきゃならないのがわかりません。「あなただったらいい会社に行けるわよ~」と言いました。結局、辞めさせたいのでしょうか。コールバックさせて、長々としゃべる図々しい人。おかげで職域には行けたけど時間切れ。こんな人に営業妨害をされていました。
服装のことを注意する権利はない
仕事にもだんだん慣れてきて、いつも黒いスーツですが少し華やかなブラウスを着たりしていました。ある日、朝礼前にあの人から「ちょっと来て」と言われて階段の踊り場まで連れてこられて、「なにその恰好!」と一言。ブラウスを少し明るめにしてきただけなのに、そんなことはマネージャーではないあなたは言う権利はないですからというニュアンスで否定しました。階段の踊り場でしたから、激高させたら突き落とされそうだったので、1分もしないうちに席に着きました。
戦法を考える
意地悪をされていることをマネージャーに相談しても、「ずっとあの人と一緒だから」と言われて、効果はないと思いました。ならば戦法を考えなきゃならない。自分の実は自分で守る。大切ですね。朝礼が終わったら自分の契約見込みをマネージャーに提出するのですが、あの人は”見込みはある”と言うものの、いっこうに設計書などの書類を見せて来ないので「あるなら出してよ」とマネージャーに言ってもらうことにしました。その効果があったのか、所長に相談しているようでした。所長だって、出してという他はありません。次第にイライラが隠せないようになり、それから間もなく退職されました。
お昼のお茶汲み
悪いことを言い出す人のために、自分の人生を棒に振るようなことはあってはならないと思います。34歳から勤めた損害保険会社でも、あからさまに攻撃を受けました。まずお昼休みには社員の女性たちとテーブルを囲んでお弁当を食べます。その時に、みんなのお茶を汲みます。マイカップを持っている人が多く、お盆いっぱいにカップを並べてお茶を淹れます。その悪い人は、私のカップには他の人と全く違う色のお茶を入れられました。何が入っているかわからないのですぐに捨てに行き、自分のカップを良く洗い、急須には新しいお茶を入れ直してきました。そんな人と一緒に休憩するなんて、あり得ません。本当によく耐えていたと思います。
意地悪は人相に出る
その悪い人に、トイレの電気も消されました。窓がないので真っ暗になります。私が入っているのを知っていて電気を消していることが何回もあったので、「○○さん、また電気消したでしょ?!これで3回目!」とはっきり言いました。なのにクスッと笑うだけ。顔は麻原彰晃にそっくりな顔。意地悪な人は顔に出ることを証明していたようでした。また、私の娘が通った進学校に同じ学年であの人の息子さんも入学していました。父兄会で見かけて声を掛けられました。こんな所でも一緒でした。それでも自分の娘は絶対に負けないという自信がありました。
仕事を取られても取り返す
損害調査課の勤務が決まり、軌道に乗っていたころ、私がぎっくり腰になり、1週間会社に行けなくなりました。その間に、あの人が私の仕事をやることになったようです。復帰したら別の仕事をさせられていましたが、損害調査課では、閑古鳥が鳴いていました。写真見積もりが届かないと損害調査報告書が作れないので、解決になりません。あの人は、写真見積もりの督促も2.3件しかやっていないようで、定時の3時にさっさと帰っていました。「やっぱり私でないと」ということになり、課長から担当社員を通じて「損調の担当は替えます」と決まりました。席も損害調査課のデスクに並べてもらえました。その通知を聞いたあの人の表情がガラッと変わり、私は思わず笑ってしまったのを思い出します。理不尽なことは許さない。若かったのでメンタルが強かったのでしょうか。自分を大切に、一番に考える。キャリアを積み始めていたので、絶対に仕事を奪われてはいけない。人生に関わることなので、必死でした。夫に相談すれば辞めろと言うだけ。いつでも辞めてよかったですが、ある程度、経験を積みたいと思っていました。
まとめ
こんな環境でも結果を出してきた私。損害保険会社では、システム開発を完成し、課長が表彰された事実、生命保険会社では全国上位にランキングされ、「出すぎた杭は打たれない」ということを実現して来ました。十分に会社に貢献したと今でも胸を張れます。あの頃の苦労はこの自己肯定感のためにあったのなら、私にとって必然的な出来事だったのでしょう。
ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
こうして皆様にお話しできる機会がある事は、本当にありがたいです。皆様に救われました。
読んで下さる皆様に、これからも良きチャンスと結果がもたらされますように。

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